バレンタインデーの起源2

バレンタインデーの起源について、本日は、もうひとつの説のほうをご紹介いたしましょう。
前回、お話したひとつの説は、聖バレンタイン司教のお話でした。
もうひとつの説は、ローマのお祭りが起源であった・・・という説です。
古代ローマには、ルペルカーリア祭というお祭りがありました。
このお祭りは、ローマの農耕神であるファウヌスと、ローマの建国者であるロームルスとレムスに捧げられた豊饒祭ですが、毎年、2月15日から始まったそうです。
ルペルカーリア祭りでは、町中のすべての若い未婚の女性たちが、自分の名前を書いた紙(当時はまだ現在のような紙ではなかったと思われますが)を大きな壺に入れました。
そして、独身の男性たちが、その壺から、女性の名前が書かれた紙をクジのように引いて、お祭りの間のパートナーを決めるといった風習があったのです。
そのパートナーは、お祭りの間だけにとどまらず、もっと長く続いたり、中には結婚をするカップルもいたそうです。
そうでない男女は、毎年、お祭りでパートナーを見つけました。
ところが、西暦496年になると、当時の法王であったゲラシウス一世は、ルペルカーリア祭を15日から14日に変更して、異教のお祭をやめさせようとしたのです。
そして、代わりに別の風習を根付かせようとしました。
それまでと同じように壺に入った紙をひかせたのですが、今度はその紙には、聖人たちの名前が書かれていました。
翌年のお祭りまでの間、その聖人にならった生き方をしなさいということです。
そして、約200年ほど前のルペルカーリア祭の頃に殉教していた聖バレンタインを、新しいお祭りの守護聖人にしたという説があります。
こちらもバレンタインデーの起源としては、頷けるようなロマンチックな話しではありますね。