ひな祭りのお菓子と言えば「雛あられ」ですが、どのように定着したのでしょうか?雛あられの起源は、昔、雛遊びを野外で楽しむ際に、携帯していた食料です。「雛の国見せ」という、雛人形を持った女の子たちが川辺や磯へ出かけていき、春の景色を人形に見せてあげるという昔の風習がありました。その時に、雛あられを春のご馳走と一緒に持参したのです。一説によると、外で菱餅を食べるために、バラバラに砕いて作ったとも言われています。
関東地方の雛あられと関西地方の雛あられは、味も形も全く違うことを知っていますか?関東地方の雛あられは、甘く米粒大の大きさで、米を破裂させて作るポン菓子に、砂糖などをからめて甘く味付けしたものです。「お釜に残ったごはん粒を、普段から保存するために干しておき、それを炙って作られた」、「米を直火で炒って作るお菓子が江戸で流行しており、それを雛あられと呼んだ」など、さまざまな説があります。
一方、関西地方の雛あられは、お餅で作られたもので、直径1cmくらいの丸い形で、塩味や醤油味の“あられ”です。元々、ひな祭りに欠かすことのできない菱餅を砕き、炒って作られたのが始まりと言われています。
それでは、関東と関西のどちらが元祖なのでしょう?これも諸説ありますが、平安時代に雛遊びが宮中・貴族によって始めらたことと、京菓子司が考案したという説から、京都がひなあられの発祥、要するに、元祖は関西風だと考えられます。